2007年5月、世界最大手の資産運用業者であるFが、株式の売買事務を東京から香港に移管することを決定しました。 日本に残るのは、アナリストとファンド・マネジャーだけになるようです。
また帝国ホテルの5階に陣取っていたサウジアラビアのNの駐在員事務所も、いつの間にか日本から撤退していました。 オイルマネーは日本の将来を見限ったのでしょうか。
ちなみに、日本の不動産を購入するREITですら、日本で上場しているものより、オーストラリアで上場しているケースが多くなってきました。 これが「金融大国ニッポン」の実態なのです。
2006年9月から2007年8月まで金融行政を主管したY前金融担当相は、ロンドン東部の造船所跡地を再開発して誕生した金融センター「カナリー・ウォーフ」を参考にして、東京の日本橋から兜町にかけての都心部に日本版シティを作り上げたいと意気盛んでしたが、あまりにもピントが外れていました。 デベロッパーや地上げ屋でもないのに、あの密集地帯をさらに密集させていまさらどうしようというのでしょうか。
その地域の不動産を所有している大企業の入れ知恵にしか思えません。 日本が巨額の金融資産を蓄えながら、金融大国になりきれない理由は、じつはY大臣の目の前にありました一番の障害物は、大臣が監督責任を負っている金融庁だったからです。

重箱の隅をつつくような検査官の指摘、経営判断に横槍を入れる無神経な対応、牛刀を以て鶏を割くような事大主義、情報管理を説きながらマスコミにリークする分別のなさ……。 こうした未熟な部分が、日本が金融大国になれない背景にあるのです。
気に食わない経営者を追い出すために、社内抗争を煽る検査官すらいるという噂まであります。 「わが国は犯罪者が多い」と胸を張り、検挙件数が隣国よりも多いことを誇る警察官がいるでしょうか。
警察官は「わが国は犯罪が少ない」ことを誇りにすべきであり、故に検挙件数が少ないことを自慢すべきであるはずです。 ところが金融庁は、「検挙件数の多さを誇る」という勘違いの役所になってしまいました。
だから、外資系の金融機関が日本から逃げていくのです。 マーケットは、ワクワクすべきものであって、ピクピクしながら付き合うべきものではないのに、そこがわかっていません。
金融制度をフェアで透明なものとし、金融行政を大人の対応に変えることこそが、日本版シティを創出することになるのです。

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